ねじの歴史はいつから?紀元前から現代までご紹介

昨今DYIの流行りもあり、自宅で本棚を作成したりすることも多いと思います。その際にねじやボルト、ナットなどを使用して製作していきますが、そのねじはどの時代からあるのかという事を考えることは少ないと思います。本記事ではそのねじの歴史について解説します。

ねじの歴史はいつから?紀元前から現代までご紹介のイメージ

目次

  1. 1ねじの歴史
  2. 2紀元前のねじとは
  3. 3西欧でのねじの歴史
  4. 4日本でのねじの歴史
  5. 5ISOによる統一規格の制定
  6. 6ねじのことならツルタボルトがおすすめ!
  7. 7まとめ

ねじの歴史

ねじの歴史

私たちの生活に使う器具、例えばスマートフォン・ドライヤー・冷蔵庫・パソコンなど、どんなものにも必ずねじが使われています。

また、ねじと一言で言っても多くの種類があり、ナットやボルト、止めネジやタッピンネジなどがあります。ねじはある日突然歴史に登場したのではなく、発明から現在に至るまでの歴史と変遷、ねじの統一規格についてもご紹介していきます。
 

人類とねじとの出会い

人は動物と違い、さまざまなことを考え発明し歴史を作ってきています。人類が進化と遂げ、発明を繰り返す中に、ねじは非常に大切なツールになっています。人類は自分達でねじを製作し、さまざまな用途に役立て、現在では特殊ねじも数多く私たちの生活になくてはならないものとなりました。

人類がねじと出会うと同時に文化も発展している、と言っても過言ではないでしょう。また仮に、今後ねじに代わるような技術が出現したとしてもねじがなくなることはないでしょう。
 

紀元前のねじとは

紀元前のねじとは

ねじの起源は諸説ありますが尖った巻貝をヒントに作られたという説や、木に巻き付いたツタ植物をヒントにした、粘土を円柱に巻き発明したという説があります。ただし誰によっていつ発明されたのか、という明確なものは見つかっていません。

しかし紀元前250年にねじの形態をした造形物はアルキメデスによる、揚水ポンプであるといわれています。葡萄酒を絞るためにプレス機などにも用いられています。
 

1.ねじの発明者

ねじは紀元前400年前後、プラトンの友人であるターレスの名士でアルキタス(Archytas: 428 BC - 350 BC)によって発明されたとされています。
また、物と物をつなぎ合わせることができるねじ、水をくみ上げる水ねじに最初に気が付いたのは後世のアルキメデス(Archimedes: 287 BC - 212 BC)でした。

さらに、手でカットしたねじを最初に開発していったのはローマ人です。ローマ人といえば、数々の建造物の建設が有名ですが、コンクリートの発明もローマ人であるといわれています。そして、ねじもまたローマ人が銅、銀を素材に使い作ったのです。

初期の頃のねじはオリーブオイル絞りや船底の汚水排水、運河など、あらゆるサイズのねじを使い作られています。ところが、手で作ったねじだったため、ねじ山も不正確で職人それぞれの好みの寸法で作られたため、規格統一はされていなかったのです。
 

2.ねじの仕組みの活用者

手で作られ、寸法もまちまちだったねじの仕組みを変えたのがフランスの宮中数学者ジャックベンソンです。16世紀半ばにねじ切り旋盤を発明したのも、ジャックベンソンによります。ねじ切り旋盤が普及したのは、それよりさらに100年後の1797年です。

今のような実用的なねじ切り旋盤を実現したのがイギリス人のヘンリー・モーズリーです。モーズリーはただの一介の鍛冶師でしたが、のちに工作機械の父とまでに呼ばれるようになりました。モーズリーの発明によって、ねじ山も正確に削れるようになったのです。
 

西欧でのねじの歴史

西欧でのねじの歴史

西欧諸国でのねじの歴史は古く、ローマ人によって発明されたねじはその後も発展していきます。

1.締結ねじの誕生

締結ねじとはねじを用いて2個以上のものを締結、つまりつなげるものをいいます。この締結ネジの誕生は、レオナルド・ダ・ヴィンチがねじを研究していた1500年ごろからです。レオナルド・ダ・ヴィンチは、ねじの幾何学的な形状、ねじの製作のためのねじ切り盤をスケッチにアイデアとして残しています。タップ・ダイスによるねじ加工の原理もスケッチされています。

また、ドイツ人のゲォルク・アグリコラの著書には鞴(ふいご)の製法を示す図が記載されており、この中に頭部にすりわりとねじ先が尖った木ねじのようなものが描かれています。これらのことから、金属製のボルトやナット、小ねじ、木ねじ類は1500年前後に誕生したのではないかと考えられています。

当時ねじは主に馬車、荷車などの組み立てに使われていましたが、一部の鎧にも前方から身体を入れ、胸当てをねじで止めるものも存在しています。フランスのルイ11世は金属製のねじを用いて組み立てられた木製のベッドを使用していました。

1700年代半ばから1800年代にかけて起きた産業革命では製鉄技術の進歩、鉄鋼材料で機器を製作する工作機械の発明などがあり、それらに必要なねじは当時本格的に普及していることがわかります。
 

2.金属製のねじ切り旋盤

前述したイギリスのヘンリー・モーズリーは、ねじ切り用旋盤を1800年ごろに開発しました。ヘンリー・モーズリーによって開発されたねじ切り用旋盤は加工する丸い棒を回転させながら刃物台に固定した刃物を押し付け、切り込みながら移動し丸い棒にねじ山を成形することができるものでした。

これによって、ねじは大量生産が可能となったのです。同じサイズのねじを大量生産できるようになると、ねじ山の形状やねじ山の間隔(ピッチ)を統一し互換性のあるねじも作られるようになり、ねじを標準化するための規格も整備されていくのです。

日本でのねじの歴史

日本でのねじの歴史

日本は西洋に比べ工作機械の発展は後発とされていますが、いつ頃日本にねじが登場したのか、日本でのねじの歴史について解説します。

1.ねじの伝来・輸入

日本でのねじの起源は1500年代半ばといわれています。戦国時代の歴史が好きな方であれば、ポルトガル人が種子島に漂流したものが鉄砲であることをご存知でしょう。その後の戦に大きく貢献しました。

当時は火縄銃で、種子島といわれていた鉄砲がねじの日本における起源でもあるのです。火縄銃の火薬を出し入れする尾栓に、ねじが使用されていました。種子島の領主種子島時堯はこの火縄銃を買い付け、刀鍛冶である八坂金兵衛に同じものを作るように命じ、一年後、八坂金兵衛はねじの製作に成功しています。

尾栓は鉄底をふさぐためのものであり、そこにねじ込まれる銃底のめねじが日本人が最初に見たねじであるといわれています。

当時は金属加工用工具としては「やすり」と「たがね」しかありませんでした。それを考えるとめねじの加工は難題だったに違いありません。金兵衛が製作したとされる銃は、伝来銃と並び、西之表市にある種子島博物館で今も展示されているので、興味のある方はぜひ足を運んでみてください。
 

2.ねじの製造開始

日本におけるねじの製造開始は火縄銃で伝えられたねじの製作からおよそ300年が経過してからになります。1860年、遣米使節目付役だった小栗上野介はねじをアメリカから持ち帰ると、フランス人の雇人であるヴェルニーの協力のもと、横須賀に製鉄所と造船所を建設し日本における工業の発展に大きな役割を果たしました。

小栗がアメリカから持ち帰ったねじも、小栗上野介の菩提寺である群馬県は東善寺に保管されています。また、ねじのことをフランス語でねじを意味するビス(vis)と呼ぶことがありますが、当時フランスの協力によってねじが輸入されていたことの名残であると言われています。

3.JIS規格について

JIS規格とは、日本産業規格(JIS=Japanese Industrial Standards)の略を指します。ねじもJIS規格で定められており、日本における産業製品の規格、測定法などが定められたものをいいます。

ねじの頭部の形状、ねじ部分の直径の寸法、ねじ山の角度、ねじ山とねじ山の間隔(ピッチ)の寸法などすべて規格によって規定されています。規格がなければ、ねじのこれらの寸法も適当なねじとなってしまい、おねじとめねじが噛み合わず製作現場が混乱をきたしてしまいます。

そのため、ねじだけではなく工業製品の多くはJIS規格で定められているのです。規格がどのように制定されたのかについては、それぞれの工業製品によってさまざまな変遷を経ています。

日本で工業製品の規格である日本工業規格(JIS)が制定されたのは、1946年6月1日工業標準化法が公布されたことから始まります。戦後はアメリカの影響を多く受けていたこともあり、JISにはメートル、ウィット、ユニファイの3規格がありました。現在では、JISにはメートルとユニファイの2つの規格が存在しています。
 

ISOによる統一規格の制定

ISOによる統一規格の制定

ISO(アイエスオー)とは、スイスはジュネーブに本部を置く非営利法人の国際標準化機構(International Organization for Standardization)です。国際標準化機構は、1947年に八足し、世界の標準(ISO規格)を定める団体で世界162ケ国がISOに加盟し、日本も加盟国の1つです。

ISOが制定するISO規格は国際規格であり、身近にあるものから縁遠いものまで22,467もの規格を制定しています(2018年12月時点)。ISOが定めるISO規格を略してISOと呼ぶこともあり、一般的にISOを取得する、ということはISOの規格認証を得るということになります。

ねじはISOではISOメートルねじとISOインチねじの2つの規格体形があり、どちらもJISにも取り入れられています。

1.統一規格制定以前のねじ規格

ねじの規格は日本だけではなく諸外国においてもバラつきがあり、統一規格制定以前はフランスではSIねじ、アメリカではユニファイねじ、イギリスではウイットウオースねじなどがありました。これらは、世界共通の規格であるISOねじによって統合されました。

また日本でもJIS規格が制定される以前には、日本標準規格(JES)によって規格が制定されメートルねじ、ウィットねじが規格で制定されていました。1949年にJISによって2つのねじ規格に加えユニファイねじが規格に追加されます。1968年にはウィットねじは規格から廃止となり、現在はメートルねじとユニファイねじの2つのねじ規格になっています。

ねじはその構造から、互換性が非常に重要な工業製品です。そのため、早くから標準規格が制定されました。なお、小ねじの頭の表面に小さなくぼみがあるものはISO規格に沿っているという印となり、この印は日本ではJIS認定工場のみが付けることを許されています。

2.統一規格制定までの流れ

世界各国と日本のねじの規格が統一されるまでの流れを年表化しました。ねじの規格制定には第一次世界大戦、第二次世界大戦が大きく関係しています。軍需品である鉄砲、戦車など武器には必ずねじが必要となるからです。戦後、世界でISO規格のねじが制定されています。
 

  • 1799年 フランスでメートル法を採用、SFねじ規格を制定。
  • 1868年 アメリカのウイリアム・セーラースによって発表したアメリカねじがアメリカ規格として正式に採用。
  • 1885年 イギリス規格としてウイットウオースねじ(インチ規格)が正式に決定。
  • 1898年 フランス、スイス、ドイツの3ヶ国協議によってSFねじをSIねじとして国際的規格として採用。
  • 1921年 日本標準規格(JES)が制定
  • 1924年 メートルねじ第1号がJES規格第13号として制定(メートル並目ねじ)。その後、メートル細目ねじやウィットねじ第一号、ウィット細目ねじを規格化。
  • 1939年 臨時日本標準規格(臨JES)が制定。
  • 1940年    万国規格統一協会はドイツ、フランス、スイス、ソ連、スエーデン等の国の同意を得て「SIねじ」規格を基にして「ISAメートルねじ」の規格を制定。
  • 1943年    アメリカ、カナダ、イギリスの3国の間で共通のねじの規格「ユニファイねじ」が決定。この規格は軍需品のみならず、一般民需品にも拡大。
  • 1945年 戦後、工業標準調査会が設置され、日本規格(新JES)が制定。
  • 1947年    第2次大戦後1947年に設立されたISO(国際標準化機構)で、国際的に互換性のあるねじ系列の確立をめざした結果、1957年の会議において、国際規格として「ISOメートルねじ」と「ユニファイねじ(ISOインチねじ)」の採用を決定。
  • 1949年 6月1日日本工業規格(JIS)が制定、これと共にJES規格、臨JES規格をJIS規格に移行する作業が続く。JISにユニファイねじが加えられる。
  • 1952年(昭和27年) メートル並目ねじおよびインチ並目ねじの規格が制定。メートルねじ、ウィットねじ、ユニファイねじの3本立になる。
  • 1965年 ISOねじが導入される。一般用にはISOのメートルねじ、ユニファイねじは航空機その他に必要な場合に用いるように改められた。
  • 1965年    日本工業規格(JIS)が改正され、一般的に「ISOメートルねじ」を使用し、航空機その他特に必要な場合は「ユニファイねじ」を使用することと制定。
  • 1968年 ISO規格メートルねじを取り入れ、ウィットねじは3月限りで廃止。工業標準調査会でJISをISOに整合する作業が続けられている。

「ウイットウオースねじ」は使用できないこととなりましたが、従来の機械、建築等にはまだ使用されています。また、JIS規格が制定された6月1日を、ねじ業界の一層の発展を願い「ねじの日」と定められています。
 

3.ねじが右回りの理由

ねじは右回りです。理由がごく簡単で、大多数の人が右利き(70~90%)であり右利きの人は時計回りに回すほうが力が入るというものが定説となっています。

ちなみにねじだけではなくペットボトルの蓋や、時計、身近なところでいうと回転すしも右回りになっています。ひねるという作業は右回りのほうが効率が良いのかもしれませんね。
 

ねじのことならツルタボルトがおすすめ!

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ねじメーカーでの就業を検討の際は、一度ツルタボルトへ相談してみると良いでしょう。

ツルタボルト株式会社/ねじの事なら何でもお気軽にお問い合わせください。

まとめ

まとめ

本記事ではねじの歴史について解説しました。確かにねじは衣服を除いて身の回りのものほとんどのものに存在しているものです。

ホームセンターでねじを探す際に、メートルネジは記号の頭にMがつきます。M5x10と表記されているネジは、軸の直径が5mm、長さが10mmという意味になります。また、ユニファイ細目ネジは記号UNFで表記されています。ピッチの表記方法も1インチ(25.4mm)あたり何個の山があるのかとなります。

このようにISO規格で制定されたものの表記方法についても知識を持っておくと、便利でしょう。
 

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